LOGIN久世側の最終会議では、海外テストの役割分担がもう一度見直された。私の名前は現地担当へ戻っている。ただし広報対応については、私個人を前へ出さず、会社広報を窓口にする案が残った。
沙耶が資料をめくりながら、「ここはまだ反対です」と言う。「理由は?」「商品担当が、恋愛記事への回答まで背負う必要はありません」 前なら、また私を外すのだと受け取ったかもしれない。今日は資料を引き寄せ、数字を見る。記事が出た日の問い合わせ件数、商談への影響、私が対応に使った時間。「広報窓口は会社でいいです。でも、商品について私へ来た質問まで止めないでください」「そこは分けられますか」「分けるためにルールを作るんでしょう」 沙耶はしばらく黙り、該当箇所へ線を引いた。 最終的に、個人関係への問い合わせは広報、商品取材は私が受けることで決まった。 会議室を出たところで沙耶が追いつく。「深見さんには頼らなかったんですね」「今回は必要なかったので」「必要だったら?翌朝、灯がまとめた数字を久世側へ送った。私が映った記事の閲覧数は確かに高い。けれど商品ページへの流入はむしろ増え、購入中止や取引停止へつながった形跡もない。海外では私生活の記事自体、ほとんど読まれていなかった。 会議室でその数字を示すと、沙耶は黙ってグラフを追った。「現地で同じとは限りません」「だから、問題が出た時に止めてください。出る前から私だけ消すのは違います」 広報責任者が視線を往復させる。私は商品サンプルを一つ手元へ寄せた。「私が降りれば記事は静かになるかもしれません。でも、それで『元夫との関係があるから外された』と書かれたら、それが事実になる。それに、私はこれを作った人間です。現地で使われるところまで見たい」 最後は数字ではなかった。言ってから、感情論だと切られるかと思った。 沙耶はもう一度資料を上から見直し、画面を閉じた。「担当はそのままにします。ただし私生活の質問が増えたら、広報はこちらで止めます」「そこはお願いします」 会議が終わり、ほかの人が先に出る。廊下で沙耶が追いついてきた。エレベーターへ乗る直前、広報責任者が追いかけてきて、修正版の体制表を渡した。現地担当の欄に自分の名前が戻っている。紙の端はまだプリンターの熱を持っていた。「自分が外される話になると、急に強いですね」「そうですか」「もっと早く、そのくらい言えばよかったのに」 誰に、とは聞かなくても分かった。「昔は言えなかったんです」「今は?」「言える時もあります。言えない時もあります」 沙耶が笑う。「面倒ですね」「自覚あります」 ビルの出口で別れる前、今度は私から聞いた。「久世さんも、景都に言えばよかったんじゃないですか。好きだったなら」 仕事の顔が一瞬だけ消えた。「言って、選ばれなかったら困るでしょう」 それだけ残して、沙耶は車寄せへ向かった。彼女が車へ乗るのを見送り、私は温かい体制表を鞄へ入れず、駅へ向かう間も、手に持っていた。 会社近くのコンビニでブラックコーヒーを買った。結婚してい
海外テスト開始の一週間前、久世側から新しい条件案が出た。現地で問題が起きても、商品企画の責任者である私を前面には出さず、久世の広報が一括対応するという。 資料の私の名前の横には〈メディア対応対象外〉とある。 誰が希望したのか聞くと、沙耶自身だった。景都は関わっていない。 その事実にほっとした自分が、少し嫌だった。 沙耶は現地メディアの記事一覧を画面へ出す。番組事故、景都との関係、復縁説。商品より恋愛の見出しが並んでいた。「あなたが出れば、商品よりこちらが聞かれる。プロジェクトとしては不利です」 理屈は分かる。 だから余計に腹が立った。「提案としては受け取ります。でも、私抜きで決定しないでください」「感情的になっています?」 頬が熱くなる。「なってます」 そこだけは否定しなかった。「でも、私が出ることで本当に損失が出るなら、数字で見せてください。過去記事があるから外す、だけなら納得しません」 会議室の空調が低く鳴る。 沙耶はしばらくこちらを見たあと、資料を自分の側へ引いた。「分かりました。数字を出します」 帰りの電車で、景都へ電話しようとしてやめる。今日はまだ愚痴にする段階ではない。灯へ資料を送り、明朝までに広報データを出してもらうことにした。 スマートフォンを閉じる前、景都から〈今日は会議だった?〉と届く。 〈うん。ちょっと腹立った〉 すぐに〈聞く?〉。 〈まだいい。自分で話してみる〉 既読がつき、それ以上は来なかった。 窓へ映る自分の顔は、会議中より疲れている。正しいことを言い返せても、傷つかないわけではない。 担当から外す案が一度でも現実になったことが悔しい。 それでも、担当から降りる気にはなれなかった。 会社へ戻ると、灯がまだ席に残っていた。送った資料を開き、問い合わせ件数と記事流入のデータを拾い始める。私はジャケットを脱ぎ、椅子の背へ掛けた。怒っているのか怖いのかと聞かれ、どっちも、と答える。灯はそれ以上慰めず、「じゃあ数字で殴ろう」とキーボー
海外テスト開始前の最終会議で、現地メディア対応の想定問答が配られた。私の欄だけ、私生活に関する質問が十個近くある。〈深見景都氏との関係〉〈番組事故後の心理状態〉〈瀬名莉子氏へのメッセージ〉。読み進めるほど、胃が重くなった。 広報担当は過去記事を基にしただけだと説明した。沙耶は横から資料を取り、ペンで半分ほど消していく。「答えなくていい質問まで用意すると、答える前提になるでしょう」 景都も同席していたが、そこでは口を挟まなかった。 会議が終わって廊下へ出てから、「今、何も言わなかったね」と聞くと、景都は「沙耶さんが先に言ったから」と返した。そこで終わるかと思ったが、窓の向こうへ目をやったまま、「先に答えを作るのは、もうやめたい」と低く続けた。 窓に二人の姿が薄く映っている。私は想定問答をもう一度開いた。 瀬名へ送った『消えて』を後悔していないわけではない。でも、それを海外の商品説明の場で話す必要もない。番組事故について聞かれたら公表済みの調査結果だけ。それ以外の私生活には答えない、と決める。 景都はメモを取らなかった。「覚えられる?」と聞くと、「君の答えだから」と言う。 照れくさくなって資料へ目を落としたところへ、沙耶が戻ってきた。明日の記者対応で、景都から私たちの関係を説明してもらう案が出ているらしい。 今度は景都が口を開く前に、「それは断ってください」と言った。 沙耶が理由を尋ねる。「私のことを、景都の説明で確定させたくないので」 横で景都が息を吐いた。「俺も断る」「そこは意見が合うんですね」 沙耶が言うと、景都は何か言い足しかけた。私は肘で軽く触れた。彼はそこで止めた。 三人で会議室へ戻る。景都の方が答えた方が早く、正確な場面はこれからもあるだろう。逆に、私が任せたい日もあるかもしれない。今それを規則へまとめる必要はなかった。 会議室へ戻ると、沙耶が消した質問の横へ広報担当が〈回答不要〉と書き足していた。十個あった項目は三つまで減り、紙の上には黒い線が何本も走っている。最初にもらった時よりずっと汚いのに、私はその方が落ち着いた。残った三つだけを目で追い、どこで息を継
会見から三日後、海外テストの最終契約が締結された。久世側の小さな祝賀会がホテルのラウンジで開かれ、私は部長と参加した。景都もLATTICE代表として来ている。 開始前、席次表を見て足が止まった。私の隣が景都だった。 誰が決めたのかスタッフへ聞くと、久世側の秘書だという。偶然かもしれない。それでも今の状況で、仕事の席まで隣へ置かれることには抵抗があった。 沙耶を探す。「席、変えてもらえますか」 彼女は驚かなかった。「深見さんの隣が嫌ですか」「嫌じゃないです。でも、仕事の席でそう見せる必要はないです」 沙耶はすぐスタッフを呼び、私を自分の隣へ移そうとした。「それも、ちょっと違います」 初めて沙耶が声を出して笑った。 結局、私は部長と現地担当者の間へ移った。 会のあいだ、景都とは離れた席で食事をした。向こうは向こうで取引先と話し、何度か目が合っても手を振らない。それでよかった。 帰り際、ロビーで合流する。 景都は移動した名札を見ていたらしい。「隣に座りたくなかったわけじゃないよ」 言ってから、説明しすぎたと思う。 景都の口元が少し緩んだ。「分かってる」 外は冷え込んでいた。私は駅まで歩くと言う。「俺も歩きたい」「仕事じゃないなら」 景都は一拍置いて、「仕事じゃない」と答えた。 並んで歩く。信号待ちで景都の手が一度こちらへ動き、途中でポケットへ戻った。 私は何も言わず、青信号になってから半歩だけ彼の側へ寄った。 会場では離れた席を選び、帰り道では近くを歩きたい。どちらも本当だった。 景都は理由を聞かず、歩幅だけを合わせた。 途中のコンビニで景都が水を買った。私にも聞くので、温かいお茶を選ぶ。レジを出てから、会場で出た料理の話になった。私はほとんど味を覚えていない。景都も同じらしい。隣に座っていなかったからこそ、何を食べたかすら知らない。そのくらいの距離が、今夜は妙に気楽だった。 駅の改札が見えたところで、景都が歩幅を少し落とした。私はそれに気づいて
会見の壇上には三つの席が並んだ。久世沙耶、mellow noteの部長、私。景都は客席最後列の壁際に立ち、LATTICEの社員証だけを下げている。記者から見れば、危機管理担当者の一人にしか見えない位置だった。 沙耶が海外テストの目的を説明し、部長が商品の経緯を話す。最後に私へマイクが回った。 最初の質問から、景都との関係だった。 採用へ個人的な関係が影響したのか。復縁しているのか。 私は水のボトルへ触れたが、蓋は開けなかった。「採用判断は久世ホールディングスです。私は企画内容と試験結果で評価されたと説明を受けています」 二つ目には、「仕事に関係のない質問には答えません」とだけ返した。 記者が続けようとした時、沙耶が「今回は事業説明です」と区切る。 助かった。けれど次の質問は、自分で止めたかった。 別の記者が、景都の支援がなければ騒動を乗り切れなかったのではないか、と聞く。後方で人が動く気配がした。景都かもしれない。 私はマイクへ少し近づいた。「助けてもらったことはあります」 そこで一度息を入れた。「でも、助けてもらったことと、自分で仕事をしていないことは同じではありません」 声がわずかに震えた。指先も冷たい。「誰かに支えてもらったことを、能力がない証拠にされるのは違うと思います」 会見が終わるまで、水には一口も手をつけなかった。 舞台裏へ戻ると、景都がいた。「よかった」「何が?」「俺が言わなくて」 以前なら、言えなかったことを悔やいだ人だ。今は、言わずにいられたことを喜んでいる。「私も。自分で言えてよかった」 控室へ戻り、ようやく水を飲む。手の震えはまだ残っていた。 記者席では、まだ私の名前が聞こえる。何を書かれるかまでは選べない。それでも、記事になる前の自分の言葉だけは、自分で置けた。 沙耶は何も評さず、控室のドアを開けて先に通した。 控室の机には、会見前に配られた想定問答が残っていた。さっき実際に聞かれた質問には付箋が貼ってある。私はその付箋を一枚
記者会見の日程が決まったのは、その二日後だった。海外テストそのものより、私と景都の関係ばかりが先行して報じられたため、久世側が一度事実関係を整理することになった。 沙耶は、私が出なくても会見はできると言った。「商品企画として出ます」「恋愛質問も来ますよ」「来るでしょうね」 怖くないわけではない。けれど自分の商品について、誰かに代わって説明される方が嫌だった。 景都へ電話すると、数秒の沈黙のあと、「本音なら止めたい」と言われた。「でも、止めたら怒るだろ」「かなり」「じゃあ、安全面だけ俺に任せて」 その言い方なら受け取れた。 会見当日、鏡の前でジャケットの肩を直していると、瀬名が衣装のほつれを雑に縫った日のことを思い出した。糸目は斜めで、玉止めは大きかった。今日は肩にほつれはない。怖いのは、見た目ではなく、自分の言葉がまた誰かの都合のいい形へ切られることだった。 名札には〈水城真帆 mellow note 商品企画〉とだけ印字されている。 沙耶が隣へ来て、マイクの位置を確かめる。「逃げたくなったら?」「その時は逃げます」「そこは強がらないんですね」「今日は、その余裕ないです」 二人とも笑わなかったが、少しだけ呼吸が楽になった。 会場へ入る。景都はLATTICE側の席にいて、こちらへ歩いてこない。目が合うと、一度だけ顎を引いた。 壇上へ上がる階段は三段しかない。それでも、一段目へ足を置く前に息を吸った。 控室から会場までの廊下には、報道用のケーブルが黒い帯のように這っていた。スタッフが「足元お気をつけください」と声をかける。私は自分で一本またぎ、名札のクリップをもう一度押した。指先が冷たい。景都がこちらへ来れば、たぶん安心する。それでも、今は来ないでくれる方が助かる。その矛盾を説明する必要がないことにも、少し救われた。 壇上の水はまだ封が切られていない。椅子を引く音、記者がパソコンを開く音、シャッターの試し撮りが重なった。ライトが点くと客席の表情は見えにくくなったが、景都がどこにいるかだけは分かった。見な







